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資本は人との交流から生まれる豊かさ”ゆっくりした商店街”を目指して
仲町通りを元気にしよう!「若きゃもん会」の中心メンバーの1人が宮本さんだ
 
「若きゃもん会」の発起人の1人・杉本さんが経営する精肉店「とり宮」。人気の馬肉コロッケ・バロッケはこの店のオリジナル
 
   商店の2代目が作った”若きゃもん会”
  「昭和40年代の仲町通り商店街は、一の宮町で最も活気のある通り。今で言うと熊本市の下通り・上通りのような存在で、周辺地区の子供たちからは仲町出身と言うだけでうらやましがられたものです。」地元で食事処「はなびし」を経営する宮本博史さんは、子どもの頃の思い出をこう語る。仲町通り商店街が最も賑わっていた時代、これに阿蘇神社の農耕祭事が重なった日には、参道から商店街まで人が溢れて大騒ぎになったとか。「でも、この通りも年々寂しくなりました。車が普及して近所に大きなスーパーが出来ると、もう商店街に行く必要はありませんからね。」この地で代々商売を続けてきた者にとって、その寂れようは客足の遠のきと共に実感できた。

  そんな厳しい時代に店を継いだ若手後継者たちは、将来の不安を隠せない。しかし、だからと言って自分の代で店を終わらせるわけにはいかないのだ。「景気が悪いのなら、これからの若手が頑張って町を良くしよう。」きっかけは、地元の精肉店「とり宮」の2代目、杉本真也さんの一声だった。思っていたことは、他の商店の2代目も同じ。この声を受けて、3年前の平成13年に商店街の後継者10人が集まり”若きゃもん会”を結成した。仲町通りの商店街のまちおこしのスタートである。「2代目と言っても中には銀行員や公務員もいるし、若きゃもん?と疑問詞の付く50歳代も2人いる。でもその幅が、いろいろな意見を聞くのに役立っています。」と宮本さんは言う。

初めて企画・運営をした夜市が大盛況
  会は結成したし、名前も決めた。では、最初に何をしよう。まずは商店街に人を呼ぼうということで、皆で昔の賑わっていた通りの記憶を辿ってみた。「子供の頃に一番楽しかったのは夜市だな」「通りは人で溢れていた」「テキ屋が並ぶのを見るだけでワクワクしたね」「そうだ、この夜市を復活させよう」。この意見には全員賛成。

 
上質の素材で軽やかに仕上げたケーキが自慢の「たのや」。ご主人も「若きゃもん会」のメンバーだ
  早速、平成14年1月から夜市の再開に向けて準備を始め、半年後の7月、ようやく開催の運びとなった。昔は並んだテキ屋を見るだけで楽しかったが、今の子供たちはそれだけでは喜ばないだろう。実施前は本当に人が集まるのか不安もあった。しかし、当日は1000人が集まるほどの大盛況。翌年の夜市には、なんと1日に1500人を集客する驚くべき反響があった。実は、夜市は商店街が地元の人に向けて行う感謝祭のようなもので、観光客を呼ぶ派手なイベントではない。では、何がそんなにうけたのだろうか。宮本さんは「私たちの頑張り、やる気でしょう。人は人でしか呼べないと思います」と語る。「10人の小さな輪から溢れ出し、その流れを受けた人たちが客として来てくれたんです」。

  もちろん、彼らが企画した内容もユニークだった。会員の一人であり、洋菓子店「たのや」を営む田野雅文さんは、自分の店のケーキを使って女性限定の”美味しいケーキ早食いバトル”を企画した。当日は企業対抗という形で5人が参加。若い女性がケーキ5個をなりふり構わず食べる様は壮観で、会場は大いに盛り上がった。「こういう元気あるシーンは、そのまま夜市、ひいては商店街の元気につながります」と田野さん。また、韓国旅行など豪華な賞品が当たる抽選会も大人気。抽選券は1枚100円で販売したので、スポンサーはいなくとも元ではゼロという効率の良い抽選会だ。「最初にメンバー全員で兼を買ったので、必死で売りました。これくらい気合を入れなくちゃ駄目ですよ」。

 今では夜市は町の恒例行事となり、現在7月と8月の年2回開催。また、夜市の成功以来、行政が企画するイベントに参加する機会も増えてきた。今では若きゃもん会は、地元ではちょっと知られる存在となっている。

「ここに来たら何かある」の情報発信源
 若きゃもん会の活動拠点は、商店街沿いにある「ふぉとぎゃらりー旧緒方屋」だ。旧緒方屋は築90年の古い民家で、以前は床が落ちて畳も腐っていたものを会が借り受け、自分たちで改築、館内にに町の古い写真を展示してギャラリーにしたもの。誰もが気軽に立ち寄って休憩したり、おしゃべりしたり、そんなコミュニティーセンターの要素を持ち合わせた町の拠点とするのが目的だ。まず地元の人にどんどん利用してもらわなくてはならない。

  「地元の人が知らないところに、観光客も来ないでしょう?」。まずは地元へのPRが先決だ。また、館内では昔の写真を見たお年寄りが当時の話をしてくれ、若者は自分たちの知らない時代を学ぶこともできる。世代を超えた交流の場としての期待も大きい。ちなみに、この建物の責任者は宮本さんだが、「自分の仕事があるので、開館日は気分次第。営業時間もきまってない」のだそう。何とものんびりしたシステムだが、実際、慌ただしい気持ちで人の相手が出来るはずがない。観光客を相手にするなら、なおさらである。「ここでは皆にゆっくりしてもらいたいから、自分ものんびり構えています」。

  今後は、「緒方屋に行ったら何かある、というように、ここを一の宮町の情報発信の核にした」と言うのは宮本さん。理想は、観光客が緒方屋に寄って、得た情報をもとに町を回り、また緒方屋に戻ってくるというパターン。それが縁となって、ここで地元の人と観光客の間で様々な会話も生まれるだろう。さらに今後の課題として、阿蘇神社の歴史や文化について案内できるシステムを作るなど、来訪者を退屈させない工夫も求められる。
りっぱな梁や柱など建築当時の面影をそのまま残したレトロなギャラリーに心が和む まずは地元の人に来てほしいと、ふぉとぎゃらりーには昔の写真を展示している

 
一の宮町は古来、水の豊かな町だ。この豊かな湧水を訪れた人にも味わってほしいと仲町通り商店街ではあちこちに「水基」と呼ばれる水のみ場を設けている。
 
結果が分るのは自分たちの子供時代
 仲町通り商店街では、15年ほど前から水源めぐりならぬ”水基めぐり”なるものがある。この地区は水の豊かな土地で、町のいたる所から清水が湧出し、昔から神の水として住民の生活を潤してきた。「以前、観光客から”この水は飲めるの?”と聞かれて驚いた。世の中には飲めない水もあるのかと。そこで、これを観光客に利用することにしました」。若きゃもん会では、この水=水基めぐりを改めて観光客向けに整備し、町の協力も得てガイドマップを製作した。地区内にある14の水基をイラストで紹介した、今風のオシャレな作りに評判は上々。「このマップを手に町を散策する人が増えればうれしいですね」。このように、地元には外からの声によって気付かされる、価値ある観光物件がまだ眠っている。それを発掘するのも会の役目だ。

 さらに若きゃもん会の活動は、10年後、20年後まで見据えている。例えば、通りには空き家の店舗も多いがそれらを壊さずに活かすことも考案中。建築家の経歴を持つ宮本さんは「将来は昔の門前町のような田舎が田舎らしい景観を造りたい。観光客もここに来れば癒される、ゆっくりとした商店街が理想です」と語る。ゆっくりした時間が流れる町、観光客にもこの土地のリズムに合わせて田舎を楽しんでもらいたいのだ。最終テーマは、人が潤う町づくり。答えはゆっくりとした、ゆとりある心の中にある。「私たちの活動が結果として現れるのは、3代目となる子供たちの時代でしょう。子供たちが、ここに残って商売をしようと思える町にしたいですね」と宮本さん。「私たちの資本は、人と人との交流から生まれるもの。これからも焦らずゆっくり、頑張っていきたいと思います」。
ASO大陸第7号掲載

 

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